中世のガラス

ローマ滅亡からステンドグラスとヴェネチア・グラス

ローマが滅亡すると、ガラス職人たちは周辺諸国へ移住し、一時ガラス製造は停滞をみせた。

しかし、8世紀ごろにビザンチンのステンドグラスが生み出され、その美しさとキリスト教が深く結びつき、権威を示し、教えをわかりやすく伝えるために、寺院へ多く取り入れられるようになっていく。当時、文字を読めるものが少なかったため、このステンドグラスは丁度よかったのだろう。例えば、ゴシック建築などで見かける「バラ窓」はマリア様を暗示しているようだ。(当時は車輪や歯車のような窓、という程度だったらしいが)

建築技術はどんどん進歩し、大きな窓が設置可能になり、ステンドグラスは建築物の高い位置に設置されるようになる。光は、神のイメージだ。暗い建物の中に差し込む色とりどりの光と、その美しさを、教会のイメージやシンボルの一種として取り込んだのだ。最初にこれを結びつけた人は、かなり頭が良い人だろうと思う。

ステンドグラス以外では、イタリアのヴェネチア・グラスもこのころに興ったものだ。ヴェネチアの商人が、当時貴重なガラスを扱えば「一儲けできる」と考えたことが始まりの一つ、とも言われている。正確な起源は謎なようだが、ローマンガラス職人が絡んでいたことは間違いないだろう。赤や青といった色鮮やかなヴェネチア・グラスは、ステンドグラスの色鮮やかさに通じるものがある。

ヴェネチアでは、このヴェネチア・グラスの技術が広がっていくことを恐れ、工房と職人や家族・扱う商人を一つの島に強制的に移住させ、管理を徹底した。ガラスは大量の炎を扱うため、火事防止の制作でもあったようだ。
小さな島で職人たちは切磋琢磨に技術を磨き上げ、より美しく繊細なヴェネチア・ガラスを作っていったのだ。レースガラス等の技法もこの当時に生み出されたものだ。

このようにヴェネチア・ガラスのブランドを作り上げた結果、ヨーロッパ中で大流行し、その価値を確かなものとした。ヴェネチア・グラスを持っていることが富裕層のステイタスだったらしい。
ヴェネチアの商人たちの作戦勝ちである。

ボヘミアン・ガラスもこの時代に生まれました。しかし、ヴェネチアのガラスと比べるとどうしても劣るところがあった模様。しかし、宝石をカットするようにガラスもカットする工法を思いつき、カットグラスとして成功する。

因みに日本ではこれぐらいのころにフランシスコ・ザビエルがガラスを伝えている。
現在と違い、日本にはガラス文化はなかったためガラス技術の進歩、という点では本当にまったく絡んでいないのだ。

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