近世のガラス 01

工業ガラスの機械化と効率化

(前ページからの続き)
ロンドン万博の「クリスタルパレス」のガラスは、この「円筒法」によって大量生産が可能になったために建てられたものだ。このクリスタルパレスをきっかけに、駅舎の屋根や建築物の吹き抜け空間に「ガラスドーム」が広がっていく。現在では当たり前にある光景はこのころ作られたようだ。

クリスタルパレスと言えば、全面ガラス張りの建築物。地震大国の日本では考えられない建造物だが、当時の人々にとっては考えられないような、夢の城だったのだと思う。現在だって「サンルーム(ガラスのテラス)」や「ガラスの植物園」等は「おおお…」と見とれてしまうものなので、当時の衝撃はどれほどのものだったか。

ちなみに、この時ガラスの製造を請け負ったのはチャンス・ピルキントン兄弟の会社である。現在、このピルキントンは日本板ガラスに買収されたが、世界のガラス産業をリードし続ける大企業となる。
1902年アメリカ人ラバースによって「円筒法」の機械化に成功。しかし、人の手で作っていたころと基本工程が変わらず、基本の手間がかかることが問題だった。

日本でも「円筒法」から普通板ガラスの工業生産を開始。

同時期の1901年ベルギー人のフルコールが開発した「フルコール法」は溶解窯(ようかいがま)から板のままガラスを垂直に引き上げる方法で、ひずみやゆがみが少ない均等な板ガラスが生産されるようになった。人の手による作業が不要になったため、より大きなガラスが生産可能になる。

1920年ごろに現在でも使用されている「ロールアウト法」がアメリカで開発された。

二本のロールの間に溶けたガラスを直接通して板にする方法は、現在も表面に模様を入れてプライバシーを保護する目的の「型板ガラス」や「網入り板ガラス」などの製造に利用されている。しかし、綺麗なフロートガラスを製造するにはロールアウト法は後で表面を磨く工程が必ず必要になる。磨かれたガラスは肉眼では見えない「傷」がたくさんついているため、輝きという点では劣っていたようだ。

因みに、1960年ごろの日本では都市部に人口が集中し、住宅が密集して建てられた。そのためプライバシー保護用の型ガラスが大流行したらしい。この「ロールアウト法」で生産される型ガラスは様々な模様も生み出されたようだ。

1959年、やっと「フロート法」がイギリスのピルキントン社で開発され、現代に至る。「フロート法」は錫にガラス素地を浮かべて板ガラスにするものだ。ガラスと錫だとガラスのほうが軽いため、浮くらしい。
これによって、磨く必要のない両面とも平らな現在の板ガラスの大量生産法が生み出された。

現在は、工業用と工芸用に大きく二つに分かれてしまったガラス産業だが、特に工業ガラスは生活には欠かせないものになった。日本での歴史は浅いガラスだが、工芸ガラスも途切れることなく続いてほしいと思う。

ページのトップへ戻る